救われたって本人が思えるんなら、新興宗教でも何でもいいのでは

最近、平日に更新する体力がありません。
今、山梨にいます。
明日は山梨県で、展示会のアテンドをしなければいけないので。
朝もそこまで早くないので、平日だけど更新できます。
最近考えることについて、何の脈絡もなしに書き付けます。



1.腐っていた
とある日、急に「将来の希望」について聞かれました。
別に仕事でも私生活でも何でも含めた意味で、です。
困ったことに、急に聞かれても何も浮かびませんでした。
苦し紛れに「充実した生活がしたい」と答えました。



私は、欲深い人間です。
もちろん、現状に満足はしていません。
あれが欲しい、こうしたい、そうなりたい…普段いつも考えています。
でも、具体的な言葉が出てきませんでした。
現状に満足していないという事実よりも、具体的な希望がすぐに浮かばない自分がヤバいと思いました。
願わないと、それも実現しません。
つまり、願いがない私は進歩しないってことなのではないかと。



2.比べてみる
辛いことがあったとします。
私は、他の人と比べて優位だと思うことで、その辛さを紛らわしていました。
例えば、発展途上国ストリートチルドレンと比べたら、日本に生まれた自分はまだ幸せだ、というように。
しかし、いくら遠い国の子と比べても、隣の子と比べても、意味のないことに気付きました。
人によって、その出来事の幸福度も不幸度も違うのですから。
生まれた環境や、経験してきた人生、人それぞれだから、同じ事象でも捉え方は全く違います。



テストで20点取るという事実があるとします。
普段100点ばかり取る子ならショックです。
しかし、普段0点ばかりの子にしたら喜びです。



いくら、不幸比べしたところで、比べる本人にはなれっこないのでナンセンスです。
最近は比べるのを止めました。
なんとなく、そんなことしていた頃の自分を思い出しました。



3.幸福論
営業をしていると嘘が上手くなります。
内心「こんな商品使えない」と思っていても、言葉巧みに売りつけます。
そんなとき、大学の先生の言葉を思い出すときがあります。



確か、お年寄りに壺だとかを売りつける商法について、先生の見解。
「いいんじゃないの。別に自分のお金をどう使おうと。それで本人が幸せになれると思うのなら。どうせ貯めても、人生残り少ないんだし、好きに使えばいいのよ。」
みたいなことを言っていました。
先生とは、そういう悪徳商法を否定するものだと思っていたので、目から鱗でした。
確かに、本人の幸福獲得料だと思えば、安い買い物かもしれません。
滅多に幸福はお金では買えませんから。


4.健康志向と味覚
気持ちが腐るのは、不健康だからかもしれません。
不健康とはいっても、あくまで自分基準での話です。
他の人から比べれば、自分は明らかに健康でタフな人間です。
最近は、寝不足、アルコールと煙過剰、体力低下と慢性疲労に伴い、常に「健康不良」な状態です。
常に眠くて、ダルくて、やる気が起きないのです。
とりあえず、健康体に戻ろうと決意しました。
肩こり解消には、水を大量に飲んで排泄することが良いそうです。
仕事中は、トイレを探すのも一苦労なので、控えめにして、夜に水分補給を大量にすることにしました。



あとは、野菜を多く摂取することです。
昼食でも、なるべく野菜が多そうなメニューにしています。
今日、地元の人に聞いた美味しい大衆食堂に行ってみました。
一昔前までは、一人でカフェに入るのでさえ躊躇していたというのに、そんな場所に平気で踏み込むことが出来るまで図太くなりました。
「野菜炒め定食 650円」結構安いです。
運ばれてきた量を見て驚きました。
直径20cm程の更に山盛り野菜炒めが。
10cm位の高さがあったのではないでしょうか。
味は美味しかったです。
黙々と野菜を食べます。
味は上々です。
気分は草食動物です。
約20分後に完食。
自分、よく食べます。速度も速いです。満足でした。


私は、グルメな人間ではありません。
カテゴリーは「不味い」「美味しい」の二つです。
もっと訳せば「食べれる」「食べれない」。
不味かったり、嫌いだったりして受け付けない物意外は、大抵「美味しい」と感じます。
ファミレスやファーストフード、コンビニだって普通に美味しいです。
舌の肥えた人と、何でも美味しい自分はどちらが得か。
私は後者だと思うのですが、強がりなのでしょうか。
舌の肥えた人が「美味しい」物は、もちろん私にも「美味しい」のです。
そうしたら、「美味しい」守備範囲が広い自分の方が幸せだと思うのです。



文章を書いたらスッキリしました。
今日はよく眠れそうです。