夏の風物詩

今日で夏休みも終了です。
しつこい程、睡眠を貪りました。
居間で犬と昼寝をしていると、隣からサックスの音色が。
どうやら、隣のチビっ子は、中学校で吹奏楽に入っているようです。
十年振りに聞く校歌は懐かしかったです。
歌詞は半分しか覚えていないけれども。



夏休みといえば、宿題。
私は、夏休み当初は、初日で全て終わらせるだとか、7月中には片付けようと意気込んでみるが、挫折。
結局最終日間近まで終わらないというパターンでした。
日記は、登校日前日と最終日の2日間で書き下ろす。
ドリルは計算機を駆使する。
漢字の書き取りは、勢いのある初日に。



苦労したのは、自由研究、工作、読書感想文でした。
自由研究は、新学期に廊下に張り出されるので、手を抜くのはプライドが許しませんでした。
毎年ネタを探すのに一苦労でした。
今はネットで探すのも楽そうで良いですね。
そういえば、担任が違うからといって、2年連続同じネタにしたこともありました。
工作も、同様、何を作るかで悩みました。
図工は好きでしたが、独創性のない私は、「好きな物を作っていいよ」と言われると、何を作っていいかわからなかったのです。



そして、読書感想文。
今でこそ、読書は大好きで、ここにも感想を書いていますが、昔は違いました。
本を読むのは嫌い、感想を書くのも大嫌い。
作文は好きで、いくらでも書けました。
しかし、読書感想文は、「書かされている感」があって、苦手だったのです。
そんな私が書いた感想文は酷い物でした。


1.半分以上があらすじ
とりあえず、本文を写しました。
最後にありきたりの感想を付け加える手法です。
「この話は〜〜でした。とても感動しました。おもしろかったです。」みたいな感じです。


2.想像
先生が読んだことのないであろう、マイナーな本を選びます。
挿絵と題名、最後の部分のみ読んで、その話を想像します。
そして感想を書くという、手法です。
今考えれば、危険であり、そっちの方が手間がかかるのではないかとすら思います。


3.核心部に触れない
誰もが知る太宰治の「走れメロス (新潮文庫)」。
この本は、知名度も高く、いかにも文学しています。
何よりも、ページが少ないというのが魅力的な本です。
そんな理由で手に取った人も多いのではないでしょうか。
私も例外ではありませんでした。
しかし、びっしりの文字と、ややとっつき難い文体に挫折。
もう、他の本を読む時間もなく、追い詰められた私の取った方法。
だいたいの内容は知っていたので、そのことを掘り下げて引っ張りました。
「友情は美しい」そのことに対して、自分の体験談を交えつつ延々と書きました。
あとは、客観的な事実を。

「ページが少ない」→短い中に凝縮された友情の物語は素晴らしく、云々…
「文章びっしり」→あまりの面白さに、スラスラ読めました、云々…
「本の外装」→とても美しい外装で、内容とマッチしていました、云々…

ここまで来ると意地でも読むまいとの心理が見え隠れします。
一見、それっぽい文章というのがポイントで、よく読むと、内容には殆ど触れていないという上級テクニックです。
どうせ、先生だって30人近くの感想文を熟読しないだろうと思うので、あくまでそれっぽければ良いと思うのです。



今だったら、いくらでも書く自信あるのですが。
大学の頃、同じバイト先の高校生の読書感想文を書いてあげたときは楽しかったものです。
他人事だと、案外気楽に簡単に出来るものかもしれません。