何かが、脳みそから漏れてますけど

誰しもが、小学生の頃にこんな宿題を出されたことがあるのではないでしょうか。
「あなたの名前の由来」
いつだったかは忘れましたが、私も親に聞いたことがあります。
母「特に意味はない、なんとなく決まってた」
何とも素っ気無い回答でした。
母「ただ、2文字目の漢字は、私が入れたかったから付け加えた。完全にアテ字だけどね」
私の名前で唯一捻った点は、無理矢理母の好きな漢字を組み込んだだけでした。
私は、どうやって宿題の作文を書いたのでしょうか。



私の名前は、どうも人に記憶されにくいです。
まず、読み方。
漢字三文字なのですが、初対面の人は必ず間違って読みます。
新学期に先生から出席確認の名前を呼ばれるとき、毎回訂正していました。
大学あたりになると、面倒になって訂正すらしていませんでした。
名字も若干厄介です。
同じ読みの名字が4パターン程存在するのですが、私の名字はその中でも少数派らしいです。
恐らく、仕事関係の人の半数は間違った漢字の「ねじまきさん」だと勘違いしている模様。
客から来るFAX、ダイレクトメール、上か下の漢字の何処かが間違っています。
殆ど訂正はしませんが、こちらから送るFAXにはわざとフルネームで記名してます。
恐らく、私の漢字を誤解して認識している人は40%くらいいると思います。



小さい頃、私は自分の名前が嫌いでした。
数年後には希少価値の高まっている筈の「子」が付いています。
全然可愛くないし、年寄り臭いし、漢字もやたら画数が多くてバランス良く書くの難しいし。
よく親に「何でこんな名前にしたのさ」と八つ当たりしていました。
そんなことばかり言っていたから、あんな投げやりな回答しか返って来なかったのかもしれません。



しかし、今は気に入っています。
二十数年も付き合っていると、さすがに自分はこの名前以外の何者でもなくなります。
お婆さんになっても違和感ない名前だし。
母の一存で組み込まれた漢字も、あって良かったと思っています。
仕事先で名刺を渡したときに「綺麗な漢字ですね」とか言われると嬉しいです。
愛着とは、こういうことなんだと思っています。



昔は、コンプレックスでガチガチに凝り固まっていた私。
この歳になると、克服出来たことが多くなって来たような気がします。
世の中、どんなに考えた所でどうしようもないことは多過ぎます。
諦めの境地といいますか、開き直りといいますか、発想の転換といいますか。
一つ、コンプレックスを克服すると軽くなります。
もう少し、自分を好きになりたい。
東京の空は、たった三日で星が蘇るんですよ。