最後に涙したのはいつですか

人生には「この行動を起こさなければ一生後悔する」という出来事があります。
今がそのとき、たとえ、開催地が日本の最北端だったとしても、入場料が5万円だったとしても、私は向かったことでしょう。
およそ一年前に、この展示会を知ったときから、私の爪先は西を向いていました。
京都の相国寺で開催されている「若冲展 〜釈迦三尊像動植綵絵 120年ぶりの再会〜」に行きました。
この展示会の為に代休取って、新幹線に乗って。



まずは、伊藤若冲について。
江戸時代の画家です。
正直、私は絵の価値だとか素晴らしさとか、解りません。
確かにイタリアで見た絵画には感動しましたが、その感動は「教科書とかで見た実物が目の前に」という気持ちが何割を占めていたことか。
その辺の素人が書いた作品が、あの絵画の中に紛れていても、見破る自信は全くないです。
そんな私でもテレビで若冲の作品を見たとき、その印象の強さに衝撃を受けました。
名前も知らない人の絵を見て感動するなんて経験は初めてで、それからというもの若冲の魅力にどっぷりはまってしまったのでした。
そして、私が一目惚れした若冲の最高傑作「動植綵絵」30幅が一挙に公開される日が来たのです。
動植綵絵」は現在宮内庁三の丸尚蔵館に秘蔵されており、滅多にお目にかかれません。
何せ、118年ぶりに三十幅が並んだ位ですから。
更に、相国寺にある釈迦三尊像三幅と同時に公開されるとくれば、黙って東京にいるわけにはいきません。

若冲の作品を見事に捉えた文章があるので紹介しておきます。

今年のバーゼルで発表された時計とか、先月ミリオンセラーを達成した恋愛小説とか、昨日コンビニの棚に並んだ新作スイーツと同じように、今日見て夢中になった絵がたまたま江戸時代に描かれていただけの話。それくらい「今」とシームレスにつながってしまえる「日本(古)美術」がある。キンキンでバリバリ、でもウゴウゴしている伊藤若冲の絵。

中略

そして2006年夏、東京国立博物館を皮切りにプライスコレクションが日本各地を巡回、若冲を中心とした江戸絵画がまとまって紹介され、翌年には皇室の御物として秘蔵される若冲の最高傑作「動植綵絵」三十幅が、当初画家本人によって寄進された京都・相国寺承天閣美術館で118年ぶりに里帰り公開される。今やっと、日本が若冲と恋に堕ちる。
BRUTUS 2006年8月15日号より)



開催期間が1ヶ月足らずということで、大変な混み具合という話を聞いていました。
噂通り、開場まで1時間以上あるというのに、100人以上の列でした。
その為か、予定の1時間前の9時から開場となりました。
まずは、第一展示室。
そこは、鹿苑寺大書院障壁画などの作品が展示されています。
若冲以外の作品もありました。
葡萄の絵や芭蕉の絵は、墨絵なのに古さを感じさせません。
第一展示室の作品だけでも感動だった為、第二展示室への期待は最高潮です。



そして、緊張しながら動植綵絵が待つ第二展示場へ。
入った途端、息が止まりました。
目の前に広がる三十三幅は圧巻です。
何でも、この承天閣美術館を建てる際、この三十三幅を完璧に展示出来るように設計したとのことです。
当時は、もちろん今日の展示会が実現するかも解らないというのに、です。
これだけでも、開催者側の思いが伝わる展示会なのです。



既に会場は人で溢れかえっており、移動が困難な状態です。
しかし、私はガラスにへばり付いて1枚1枚ゆっくり鑑賞しました。
普段は美術館に行っても、人込みが嫌いなので、最前列から2、3人離れた場所から見ることが多いです。
しかし、今回は違います。
10センチでもよいので、間近で見たかったのです。
あの緻密な筆遣いに、美しい色たちに少しでも近寄りたかったのです。
私は背が高いので、後ろの人は見にくかったことでしょう。
端から順に見て行き、「群鶏図」の前に来たときには、あまりの迫力に泣くかと思いました。
夢にまで見た鶏がこんなに沢山。
遥々京都まで来た甲斐がありました。
他にも語れば何時間あっても足りない位の素晴らしい作品たちを鑑賞することが出来ました。
瞬きをする時間も惜しい、1枚1枚の絵を細部まで焼き付けたい、本当に凄い。
この絵たちは、他のどの場所でもいけない、この上ない最高の舞台での再会を喜んでいるようでした。



そして、私が若冲を好きになったきっかけの絵、「秋塘群雀図」の前に来ました。
群れをなす茶色い雀の中に1羽だけ飛ぶ白い雀。
その構図は斬新で、江戸時代に描かれた作品とはとても思えません。
その絵の正面に立ったとき、鼻の奥がつんとしました。
今、心臓発作で死んでも後悔しないかもしれない。
フランダースの犬で、最期に憧れのルーベンスの絵を見ながら安らかに天へ召されたネロの気持ちが、今ならよくわかる気がします。



1枚1枚をじっくり見た後は、お気に入り作品を遠目に見たり、全体を眺めたり。
美術書では気付かなかった発見がたくさんありました。
実際見るとでは印象が全く違う作品もあり、「芦雁図」はお気に入り上位に急上昇しました。
気付けば2時間弱も居座り続けてしまいました。
これまた素晴らしい図録も購入して、大満足です。
私が会場を後にする頃には、更に入場待ちの列が伸びており、1時間待ちの札が立っていました。
残り2日は土日ですから、更に混み合うことでしょう。
代休万歳、120年ぶりの再会に万歳、この青空に万歳。